「六ヶ所村ラプソディー」という映画を観てきた。
この映画は青森県六ヶ所村に建設され、まさに今年にも本格稼動しようかという「核燃料サイクル施設」をとりまく人々を取り上げたドキュメンタリー映画。 全国の原発から出る使用済み核燃料を六ヶ所村の再処理工場に集め、プルトニウムを取り出す。 そしてそのプルトニウムからまた電力を生み出す。 資源を持たない日本にとって夢のようなエネルギー政策だ。 私が不勉強なためなのか、この再処理工場が建設されていることはおろか、もう本格稼動するところまで来ている、なんてことをこの映画を見るまで知らなかった。 青森県の六ヶ所村というところに存在していることすら。 知らなかったことはそれだけではない。 プルトニウムを目の前にした生身の人間は2秒で即死するほどの猛毒だとか、 日本国民を全滅させるには角砂糖3~4個程度の大きさのそれがあれば十分な致死量だとか。 運転によって生まれる放射性物質は、大丈夫なはずという計算値に基づき、大気中や海に放出、拡散されて処理されることや。 三陸あたり太平洋側の魚介類は安心して食べられなくなるとか。 六ヶ所村でもし事故が起これば、山形県まで被害が及ぶ予測とか。 映画は賛成派・反対派どちらかを擁護するような内容ではなく、とにかく今起こっている現実を教えてくれるものだ。 映画の中には賛成、反対、もう仕方ないと黙認する人、みんな出てくる。 リアル「腐海と共に生きる」か。まさか青森にあるとは。 原爆や被爆が恐ろしいように、影響が怖いか怖くないかといえば怖いし、影響は出ないはず、と机上で計算されていても、計算が合っているかは影響が出なくちゃわからない。 ずーっと垂れ流していれば環境に良いか悪いかと言ったら良いはずなんか絶対ない。 「安心な予定の計算値です」とは言ってくれるけど「絶対安全」ですとは言ってくれないところがまた怖い。 10年ほど前、宮城の女川原発内部を見学させてもらえる機会があった。 立っている私の足下に超危険物があったのだろうが、強大な建物と装置に包まれていて危険は見えないし、職員は「どれほどに安心か」という話しかしないから、もし、大事故とかが起こっていたら完璧に死ぬとこに立っていたなんて気持ちはなかった。 原爆やチェルノブイリのことを考えたら、コンクリと鋼の建物だからどうなの、というくらい安全じゃない。 夜、怖い話を聞いた後、悪霊的なものが襲ってくるのではないかとドキドキしたけど、頭の先まですっぽりと布団に入っていれば安全なような気がしていた根拠のない安心感に似ている。 対峙する存在が大きすぎて、全然リアルじゃないのだ。 想像もつかないほど強大な原子力エネルギー、国をあげて動き出しちゃってる大きなうねりを目の当たりにしたところでどうしろというのか。 今このパソコンを動かしている電力だって、きっと宮城の女川原発で作られたものなんじゃないのか。 いいだけ恩恵を受けておいて、怖いのはヤダ!なんてありなんだろうか、とか。 あまりに規模が大きすぎる話、知らないことが多すぎて、簡単に賛成も反対も口にできないような気がした。 そんな風に思いながら観ている私に、映画の中の女性が言う。 「『良いと思っていない・賛成はしていない』という気持ちは自分を楽にしてくれる。けれど、賛成はしなくとも黙っているということは、賛成を黙認していることだ」 うーん。痛いとこつくなあ…。 自分の住む町に再処理工場が来る、と言われたら、俄然反対!なんだろうけどなあ。 痛みをリアルに感じられないことにはまさに他人事。 でも万一何か起こったら他人事じゃ済まされない。 そして多分、大きな事故でなくともいずれ何かしらの影響は出るのだろう。 まだまだ他人事感たっぷりの私だが、もっと六ヶ所村のことを知ること、この映画のことを日記に書いたり人に話すことから始めてみよう。 反対しましょう!とはまだ偽善すぎる気がして言えないから、映画やサイトを観てみて!というところから。 いろんな感情が出てくると思う。 六ヶ所村ラプソディー公式サイト http://www.rokkasho-rhapsody.com/ 日本原燃サイト http://www.jnfl.co.jp/
by yukiya-13
| 2008-07-14 23:55
| 日常日記★ユキ印
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