レンコンのことを蓮(ハス)と呼ぶと、作った料理が急に家庭の庶民の味から料亭の味になったような気がする。
蓮の花のイメージは清廉なイメージだし、仏教のイメージも重なって京の精進料理のような風格が漂って来る気がする。 ハスと呼ぶことでなんだかすごく粋な感じがしてしまう。 ひらがなやカタカナの「れんこん、レンコン」だとスーパーの野菜売り場のイメージで、漢字で「蓮根」だと有名デパ地下のこだわり食材のようでもある。 蓮という漢字はちょっぴり勝手にレンコンの品格を上げてしまう感じもする。 日本語っておもしろい。 仕事でパッケージのデザインや商品名とかコピーとかそういうものに携わっていると、文字という記号には様々なイメージがつきまとっていて、どの場面でどれをどのように使うかによって中身のイメージにまで強く影響を及ぼすことがあるなあ、なんてことをすごく感じる。 たとえ意識していなくても、中身と外のバランスを感じて文字を選んでいると思う。 それは「感覚」だったりこれまでの「経験」だったり、例えば類似商品との「比較と差異」であったりするのだけど、意識していないことだからこそ、この「感覚」的なことを他人にも共有してもらうように伝達するのは難しいなあと思う。 特にそういう「感覚」に無頓着に生きてきた普通の大人にプレゼンする時もそうだし、「感覚」のズレている新人に仕事を教えたりする時にすごく苦慮する。 「この人、センスがないなあ。話が通じない。」と感じることすら感覚的なことだったりして、相手にわかって欲しいのに、その説明すらうまく通じないってもどかしい。 「レンコンのきんぴら」と「蓮の金比羅」に、「スーパーの総菜売り場」と「料亭の手書きメニュー」ぐらいの感覚の差を感じない人に何をどう説明するとうまく伝わるのかな。 前提として、レンコンと蓮にはイメージに差が出ますよね、って話し始めてるのに、ここでポカンとされたら、話し進まねーじゃんね。 スーパーに行ったら、閉店真際にレンコンがタイムサービスで値引きされて50円で買えた。 少し傷みはじめていたので、すぐにゆがいてゴマとマヨネーズで和えて食べた。 残りはきんぴらにした。 シャクシャク、とした歯触りが小気味良い。 輪切りにしていたら、穴がとても美しい飾り彫刻のように見えてきて、自然が生み出す美しさってすごいなあ、なんて感心してしまった。 なんで穴が空いているのか不思議に思って調べたら、粘土質な土壌で育つため空気を取り入れるのが困難な根の先まで空気を送り込むためだそうな。 この穴は「先が見通せる」ということで縁起の良い食材として慶事によく使用される。 「レンコン」と「蓮」のイメージの差を共有できないような大人と新人相手に先の見通しがやや曇っている毎日なのだが、これを食べてちょっとゲンかつぎ。 これを読んで同感!同情!と思えた方、共にがんばりましょう。 何のこと書いてんだ〜?と思っている人もたくさんいるんだろうなあ…。 まあ、端的に言うと「安かったレンコンできんぴら作った」ってことです。
by yukiya-13
| 2006-11-12 15:28
| 日常日記★ユキ印
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