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東京に行くと2

東京に行くと、いつも考えることがある。

東京にはたくさん人がいて、ぎっしり電車に詰まってたり、高いビルの中で仕事してたり、交差点をウヨウヨと渡っていたりする。
多すぎてそれぞれがどうでもいいゴミくずのように見える。でも実際はひとりひとりに人生があるし、家族や友達や仕事やいろいろな関わりを持っているし、楽しかったり、悩んだりしている深く尊い生命体のはずだ。

そんな風に考え出すと、どんなにか努力したり才能があったとしても、このたくさんの中でわずか100年ばかりの人生の間に、名前を残すほどのインパクトを遺して逝くことは並大抵ではないのだと思い知らされる。

震え上がるほどの衝撃を与えた殺人鬼の名前だって実はけっこう忘れちゃったりする。
すごい作家や芸術家の名前もわかんなかったりする。
そんななのに。

もう少し若い頃は、何かしら社会に対して影響を与え、世間に名を知らしめることが幸せだと、成功だと思っていた。
夢や目標を叶えられない人は敗北者だと思っていた。
大人になるにつれて、ギラギラと目標を追わなくなる人は妥協して諦めた人なんだと思っていた。
安定を肯定する人は弱虫なんだと思ってた。

東京に来る度に、嫌気がするほどの知らない人の塊をみていると「あぁ、あたしもこの塊の構成要素のひとつなんだよな」とイヤでも確認させられる。
そうすると、世間に名を残すほど、仕事で社会に認められるとか、何かの才能を認めてもらえるなんていうことは、遥か彼方のお話なんだな、って。
っていうか、有名人になるために人生を必死でがんばるのって果たして幸せなのか?と思ってきたり。

でも、
夢や目標を追いかけることは今でも素敵なことだと思う。
叶わなくても、いつでも叶えられるように方向は定めて歩いていたいと思う。

それが他人に認識されたいからっていう理由だけなのだとしたら、あんまり幸福じゃないんじゃないか?
自分の手の届かない、大きな大きな範囲の公的な評価みたいなことより、自分の心がどれだけ充足しているか、満足かということの方が、重要なんじゃないか。手に届く範囲の身近な物事に真剣に取り組むことの方がホントは幸せなんじゃないかと。

若い頃はこんなことを思うこともなく、夢とは違う現実の生活の道を歩んでいる人を軽視していたけれど、その道を歩んでいるのは単に諦めただけではなく、いろいろ気付いて考え方が変わったんだっていうこともあるんだとわかるようになった。
それを言葉にしてしまうと、「夢と現実は違う。大人になればわかる」って聞こえちゃうから、敗北者の言い訳みたいに聞こえてしまっていたんだ。
でも、実感を持って「自分の考え方は予想もしなかった方向に変わることもあるよね」と思える今は、「普通」と括られてしまう人波だって、敗北者なんかじゃないとちゃんとわかるようになった。

そもそも、勝ってるとか負けてるとか存在するのか、つー話よ。
何が成功で何が失敗か、つー話よ。
ジャッジは自分がすればいい。

最近は東京に行くたび、電車の窓からあたしに見られてることも知らずに、自分の人生を生きている人たちの塊をみてこんなこと考えてる。
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by yukiya-13 | 2005-03-10 01:19 | 日常日記★ユキ印
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